目次
序章:社会の“見えにくい子どもたち”に光を当てる
私たちの社会には、普段の生活ではなかなか目に留まらない子どもたちがいます。
教室の片隅で、言葉が分からずにうつむいている子ども。休み時間も一人で過ごし、自分の気持ちを表現できずにいる子ども。
彼らは皆、日本に暮らす外国にルーツを持つ子どもたちです。彼らは周囲から見えにくい存在かもしれませんが、その心の中には不安や孤独、そして助けを求める声が潜んでいます。
国籍や生まれ育った環境の違いによって、日本の学校生活にうまくなじめずに苦しんでいる子どもたち。それは決して遠いどこかの話ではなく、私たちのすぐ身近で起きている現実です。
にもかかわらず、こうした子どもたちの姿は社会の大きな話題になることが少なく、「見えにくい子どもたち」として存在しています。
今回は、この言語の壁と教育支援の課題に焦点を当て、外国ルーツの子どもたちが直面する現状と、その子どもたちを支える取り組みについて考えていきます。
教育の現場で何が起きているのか、そして私たちに何ができるのか――。共生社会への第一歩を踏み出すために、今こそ彼らに光を当て、ともに向き合っていきましょう。
第1章:日本に暮らす外国ルーツの子どもたち
日本では近年、外国にルーツを持つ子どもたちの数が増え続けています。
その背景には、国際結婚や親の海外出身、さらには親の仕事のために来日した家庭の増加など様々な要因があります。
「外国にルーツを持つ子ども」とは明確な定義がある言葉ではありませんが、一般的には親の一方または両方が外国出身である子ども、もしくは子ども自身が外国籍・海外育ちで日本に移り住んだケースを指すことが多いです。
日本国籍であっても親が外国出身である場合や、自身は外国籍でも日本で生まれ育ち日本語しか話せない場合など、その状況は多岐にわたります。
まず、その人口規模と地域分布を見てみましょう。文部科学省の調査によれば、2023年時点で日本の公立学校(小中高校)に在籍する外国籍の児童生徒は約13万8千人にのぼりました。この10年間で約1.9倍にも増加した計算です。
さらに、日本国籍を持ちながら家庭で別の言語を使っている子どもたちも含めれば、外国ルーツの子どもの存在は決して少なくありません。
彼らは日本各地に暮らしていますが、特に外国人住民の多い地域に集中する傾向があります。
例えば、工場での就労者が多い愛知県や静岡県の市町村、ブラジルやペルー出身の方々が多く住む群馬県大泉町、あるいは東京・大阪などの大都市部では学校に複数の外国ルーツの児童生徒が在籍しています。
一方で、地方の小規模な学校では学年でただ一人だけ外国につながる子どもがいる、といった状況も珍しくありません。
出身国や母語の構成を見ると、その多様性に驚かされます。もっとも多いのは親あるいは子ども自身がブラジル出身のケースで、家庭でポルトガル語を使う子どもたちです。
次いで中国出身(北京語・広東語など中国語)やフィリピン出身(タガログ語)、ベトナム出身、ネパール出身といった国々が続きます。
また近年では、東南アジアや南アジアから技能実習や留学を経て移住してくる家庭も増え、ベトナム語・ネパール語・ミャンマー語などを母語とする子どもたちも増加傾向にあります。
家庭で使用される言語として報告例のあるものは他にも、英語、スペイン語、タイ語、ウルドゥー語、ウクライナ語、ロシア語など多岐にわたります。
全国レベルで見れば、日本の学校で子どもたちが話す母語は数十種類にも上り、教室にはかつてないほど多言語・多文化な景色が広がっているのです。
統計上「外国籍児童生徒」には含まれないものの、日本国籍で片親が外国出身である子どもたちも各地に存在しています。実際、2015年には日本で生まれた赤ちゃんの50人に1人が国際結婚の家庭の子どもだったとの調査もあり、こうした背景を持つ子どもたちは確実に私たちの社会の一員として育ちつつあります。

第2章:言語の壁が生む教育格差
では、外国ルーツの子どもたちは学校でどのような困難に直面しているのでしょうか。その最大の課題の一つが「言葉の壁」です。
日本語を十分に理解できないまま日本の学校に通うことは、子どもにとって大きな負担となります。特に来日して間もない児童生徒の場合、授業で教師の話す日本語が分からず、教科書の内容も理解できないため、授業についていけない状況に陥りがちです。教室ではノートを開いて座っているだけで精一杯の日々を送り、周囲が何を話しているのか分からないまま時間が過ぎていく――そんな体験をする子もいます。
言葉が通じないことで、教室内での孤立感も深まります。
友達に話しかけたい気持ちがあっても、日本語でどう表現すればいいか分からない。周りの子どもたちもどう接してよいか戸惑い、結果的にその子は休み時間も一人きりで過ごすことになってしまうこともあります。
こうした状況が続くと、子どもは強い孤独を感じ、自己肯定感を失ってしまいかねません。実際に、「自分の居場所が学校にない」と感じて不登校(登校しなくなってしまう)状態になるケースも報告されています。
言語の壁は学力面にも大きな影響を与えます。
日本語が十分に理解できなければ、授業内容が頭に入らず基礎学力を身につけることが難しいのは想像に難くありません。
その結果、テストの成績も振るわず、学年相応の学習内容が身につかないまま進級してしまうことになります。
例えば、中学生の段階で日本語に不自由がある場合、高校受験で求められる学力を示すことが難しく、高校への進学が阻まれてしまう場合があります。
文科省の統計でも、日本語指導が必要な中学生の高校進学率は約90%にとどまり、全国平均(ほぼ99%)を大きく下回っています。つまり、日本語のハンディキャップが進路の選択肢を狭め、将来にも影響を及ぼしているのです。
さらに、言葉の問題は子どもたちの心にも影響します。
自分だけ皆と違うという疎外感や、「勉強ができないのは自分のせいだ」といった誤った自己認識を抱え込んでしまう子もいます。
また、日本で生まれ育ち日本語は流暢でも、見た目の違いや親の国籍ゆえに差別的な扱いを受ける場合もあります。
ある高校生の男の子は日本生まれ日本育ちで日本語しか話せないにもかかわらず、周囲から「外国人」と決めつけられていじめの標的となり、「自分は日本人のつもりなのに、日本人は自分のことを日本人だと思ってくれない」と深く傷つきました。
このように、言語や文化の違いからくるいじめや偏見も、子どもたちの心に深刻な影を落としています。
家庭環境にも目を向けてみましょう。
保護者が日本語を十分理解できない場合、学校からのお便りや連絡帳の内容が伝わらず、子どもの学習サポートや学校行事への参加が難しくなることがあります。
また、外国人保護者の中には言葉の壁ゆえに安定した職に就くことができず、経済的に困難を抱える家庭も少なくありません。
経済的な理由で塾や習い事に通えず、日本語や学習面での遅れをフォローできない子どもも多いのです。言語、文化、経済状況――様々なハンデを一身に背負った子どもたちは、日本の教育現場で見えない格差に直面しています。
第3章:制度と現場の支援
このような状況を受けて、国や自治体、そして地域の現場では外国ルーツの子どもたちを支援するための様々な取り組みが行われています。
まず国の施策としては、文部科学省が中心となり日本語指導や学習支援の拡充に努めています。例えば、日本語がわからない子どもたちを受け入れる学校に対し、日本語指導教員や支援員の配置を促進するための予算措置が近年取られるようになりました。
また、2019年には初めて全国規模で外国人児童生徒の就学状況を調査し、学齢期で学校に通っていない外国籍の子どもが推計で約2万人(当時、全体の18%程度)に上ることが明らかになっています。
この深刻な結果を受け、文科省は外国籍の子どもの不就学ゼロを目標に掲げ、自治体と連携して就学を働きかけたり、学習の場を提供したりする方針を強めました。
さらに、外国人児童生徒の教育に関する有識者会議を設置し、現場の声を政策に反映させる場も設けています。
また、学校教育の枠組みの中では「特別の教育課程」という仕組みが設けられています。
これは、日本語指導が必要な児童生徒に対し、通常の授業とは別に日本語習得のための特別な授業時間を割り当てることができる制度です。
年間最大280時間まで、国語科とは別枠で日本語指導の時間をカリキュラムに組み込めるため、子どもたちはその時間に日本語や基礎的な学習事項を集中して学ぶことが可能です。
ただし、実際にこの制度を活用できている学校ばかりではありません。専門の日本語教師が不足していたり、学校の時間割編成上「特別の教育課程」を設ける余裕がない、対象となる児童生徒が校内に少ないため実施が難しい等の理由から、特別の教育課程を導入できていない学校も多いのが現状です。
それでも、制度として枠組みが用意されたことは一歩前進であり、今後さらに多くの学校で活用されることが期待されています。

国はまた、教育現場への情報提供や教員研修にも乗り出しています。例えば、全国の先生方が参考にできるような多文化共生教育の情報ポータルサイトを整備し、日本語指導教材や支援事例を共有しています。
加えて、日本語教育の専門資格を持つ人材の育成や、現職教員向けの研修プログラムの充実など、支援体制を強化するための人材育成にも力が注がれ始めています。
自治体レベルでも積極的な支援が展開されています。
外国人住民が多い自治体では、教育委員会が日本語教室を放課後や週末に開設し、語学指導や宿題のサポートを行っています。学校現場に通訳や翻訳のできる支援員を派遣し、保護者との連絡調整や授業中のサポートに当たらせる自治体もあります。
例えば、東京都新宿区では多言語対応の相談窓口や子ども向け日本語教室を用意し、外国にルーツを持つ子どもたちが学びやすい環境づくりを進めています。
静岡県浜松市では市内の小中学校に日本語支援員を配置し、教室内で教師と連携して子どもたちの理解を助けています。このように、外国人集住地域と呼ばれる地域では行政主導の手厚い支援体制が比較的整備されてきました。
一方で、外国人住民が散在する地域では支援の手が行き届きにくい課題もあります。
地域に数人しか外国ルーツの子どもがいないような市町村では、専任の日本語教師を配置することが難しく、各学校の担当教員が工夫して対応しているケースが多く見られます。
そうした学校では、ボランティアやNPOと連携して地域の日本語教室につないだり、オンラインで日本語指導を受けられる仕組みを取り入れたりと、現場の創意工夫によって子どもたちを支えているのが実情です。
しかし、人手や予算の不足から支援が不十分になりがちな地域もあり、支援の地域間格差は依然として大きな課題と言えます。
民間のNPO団体や地域のボランティアも、なくてはならない存在です。
各地で日本語教室や学習支援教室を運営し、学校の授業についていけない子どもたちに放課後や週末に学びの場を提供しています。
そこで子どもたちは母語が話せるスタッフに悩みを相談したり、自分のペースで日本語や教科の勉強をやり直したりすることができます。
また、不登校や中途退学となってしまった子どもの受け皿となるフリースクール的な取り組みもあります。
例えば、ある地域の支援教室では、故郷で十分に学校に通えなかった難民の子どもが基礎から学び直し、高校進学を果たしたという報告がありました。
他にも、日本生まれながら家庭で日本語を使わず育ったため読み書きにつまずいていた小学生が、地域ボランティアと一緒に放課後の補習を積み重ね、半年後には教科のテストで平均点を取れるまでに向上したケースなど、支援が実を結んだエピソードは数多く存在します。
このような草の根の支援活動が、多くの子どもたちの救いとなっているのです。
第4章:海外に学ぶ教育支援のあり方
外国ルーツの子どもたちへの教育支援は、日本だけの課題ではありません。世界の多くの国々が移民や難民の子どもたちを受け入れており、それぞれの国で工夫を凝らした支援策が講じられています。
ここでは、特に教育政策の先進事例としてよく挙げられるカナダ、ドイツ、スウェーデンの取り組みを見てみましょう。
まず、カナダは多文化主義を国是とする移民国家です。
カナダの公立学校には様々なルーツを持つ子どもたちが通っており、その多様性は日本の比ではありません。カナダでは英語(またはフランス語)の補習教育が充実しており、新しく移住してきた子どもには英語を第二言語として教える専任の教師(ESL教師)が学校に配置されます。
授業中も言葉が分からず困っている子どもには教育助手が寄り添い、分かりやすくかみ砕いて教科内容を説明するなどのサポートが行われます。
語学習得の間も、子どもたちは通常のクラスメイトと交流しながら学べるよう工夫されており、決して分け隔てられた存在にならないよう配慮されています。
また、教師は子どもたちの文化的背景を尊重し、その多様性をクラスの中で共有資源として活かすような授業づくりを心がけています。
異なるバックグラウンドを持つ子どもたちが互いに学び合うことで、生徒全員にとって豊かな教育経験が生まれているのです。
次に、ドイツの例です。ドイツはここ数年、シリアやアフガニスタンなどからの難民・移民を大量に受け入れたことで、教育現場でも急速に多文化化が進みました。
ドイツの学校では、ドイツ語を解さない子どもたちのために「受け入れクラス(ウェルカムクラス)」と呼ばれる特別クラスを設置することがあります。
新しく来独した子どもはまずこのクラスで集中的にドイツ語を学び、日常会話や基礎的な学習語彙を身につけてから徐々に通常のクラスに合流していく仕組みです。
この間、母語が同じスタッフや先輩生徒がサポート役につき、子どもが孤立しないようフォローします。
さらに、ドイツでは職業教育の枠組みが発達しており、学齢期後半の子どもについては職業訓練校で言語習得と職業技能の教育を並行して受ける道も用意されています。もっとも、近年ドイツでも教員不足が深刻であり、増加する移民の子ども全員に十分な支援を提供する上で課題も抱えています。
それでも、「言葉がわからないから仕方がない」と子どもを放置するのではなく、制度として受け入れ段階から手厚く言語教育を施す仕組みは、日本にとって学ぶべき点が多いでしょう。

そして北欧のスウェーデンです。
福祉国家として知られるスウェーデンは、教育の場でも誰一人取り残さない姿勢を徹底しています。
スウェーデンの特徴的な政策の一つが、移民の子どもたちに対する母語教育の保障です。すなわち、スウェーデン語とは異なる母語を持つ子どもには、その母語で学ぶ機会も与えられるのです。
公立の小中学校では「母語による授業」(モダーシュモールスウンデルヴィスニング)と呼ばれる制度があり、自治体の規模によっては週に数時間程度、子どもたちが自分の母語で教科学習や母語そのものの読み書きを習得する時間が設けられます。
一方で、もちろんスウェーデン語の習得支援も手厚く、新しく来た子には第二言語としてのスウェーデン語(SVA)の特別クラスや個別指導が提供されます。幼児教育の段階から、保育園で外国背景の子どもにはスウェーデン語習得を助ける専門スタッフがつき、遊びや日常生活を通して言葉を学べるよう工夫されています。
スウェーデンでは「母語はアイデンティティの基盤であり、それを大切にすることが新しい言語の習得にも良い影響を与える」という考えが浸透しており、子どもが自分のルーツと言語に誇りを持ちながら新しい社会に適応できるよう支援しています。
以上、3か国の例を見てきましたが、共通して言えるのは「言葉の壁を取り除くこと」を教育政策の重要な柱として位置付けている点です。いずれの国でも、移民の子どもが言語不足のせいで教育から取り残されないよう、公的な制度と財源を投入して対策を講じています。
また、教師の養成段階から多文化教育や第二言語指導の知識を組み込むなど、教育者側の専門性向上にも取り組んでいます。もちろん、背景の多様な子どもたちを受け入れるには課題もありますが、異なる言語・文化を持つ子どもたちを社会の大切な一員と捉え、その成長を社会全体で支えるという姿勢は、日本が共生社会を目指す上で大いに参考になるでしょう。
第5章:言葉を超えて支える—私たちにできること
外国ルーツの子どもたちが直面する言葉の壁と、それによる教育の課題について理解が深まったところで、最後に私たち一人ひとりにできることを考えてみましょう。
行政や学校の取り組みだけでなく、周囲のちょっとした気遣いや行動が、子どもたちにとって大きな支えとなることがあります。共に暮らす地域社会の一員として、以下のような関わり方が考えられます。
- 学校でのサポート: クラスや学年に日本語の苦手な子がいる場合、周囲の子どもたちが優しく声をかけたり、休み時間に一緒に遊ぶよう促すことで、その子の孤立感を和らげることができます。
先生方や保護者も、例えば授業中にペア学習でサポート役を付ける、やさしい日本語で話しかけるなど、少しの工夫で子どもたちの理解を助けることができます。 - 地域でのボランティア: 地域の日本語教室や学習支援ボランティアに参加してみるのも一案です。
特別な資格がなくても、宿題を見てあげたり日本語の発音を一緒に練習したりと、大人のサポーターとして関わる機会は各地にあります。
自分自身が英語など他言語を話せる場合は、その語学力を活かして子どもたちの通訳や翻訳の手助けをすることもできます。例えば、学校から出るお便りをやさしい日本語に言い換えて伝えたり、保護者面談で簡単な通訳を買って出たりするだけでも、家族の不安は大きく軽減されるでしょう。 - 異文化への理解を深める: 私たち自身が異なる文化や言語への理解を深め、子どもたちの背景を知ろうと努めることも大切です。
例えば、その子の出身国の言葉で「こんにちは」と挨拶してみたり、文化的なお祭りや食べ物の話題を共有したりすると、子どもは「自分のルーツが尊重されている」と感じられます。小さなことですが、そうした姿勢が子どもの自己肯定感を育み、周囲の子どもたちにも多様性への敬意を教えるきっかけになります。 - 寄付や支援物資の提供: 直接時間を割くのが難しい場合、外国にルーツを持つ子どもたちを支援する団体への寄付や、学習に使える本・教材の寄贈なども有効です。
経済的に厳しい家庭の子どもほど、本や文房具が不足しがちです。不要になった学習参考書や絵本などを地域の図書館や支援センターに寄付することで、子どもたちの学びを後押しできます。 - 声を上げる: そして何より、私たち一人ひとりがこの問題を「自分ごと」として捉え、声を上げていくことが社会を動かします。
学校や自治体に多文化共生の取り組みを提案したり、SNSやコミュニティで情報を共有して関心を広げたりすることも、大きな一歩です。外国ルーツの子どもたちが安心して学べる環境づくりは、決して彼らだけの課題ではなく、未来の日本社会全体の課題なのだという意識を周囲に伝えていきましょう。
小さな取り組みでも、それが積み重なれば子どもたちにとって確かな支えとなります。私たちにできることから始めて、言葉の壁を越えて一緒に歩んでいける社会を育んでいきたいですね。

結語:教育からはじまる共生社会の第一歩
外国にルーツを持つ子どもたちが日本で直面している言語の壁と教育の課題について、ここまで見てきました。それは決して一部の子どもだけの特殊な問題ではなく、日本社会全体で向き合うべき大切なテーマです。子どもたちは社会の未来を担う存在であり、その一人ひとりが適切な教育を受け才能を開花できる環境を整えることは、豊かな共生社会を実現する上で欠かせません。
言葉の壁に阻まれて孤立してしまう子、学びたくても学べない子を放置していては、やがて社会の分断や不公平につながってしまいます。
逆に、すべての子どもが言語や文化の違いを超えて学び合える環境を作り出すことができれば、お互いの違いを尊重し合える絆が生まれ、新しい価値を創造していく力ともなるでしょう。教育の現場は、そうした共生社会への第一歩を踏み出すための出発点です。
幸いなことに、今、日本各地で少しずつ支援の輪が広がり始めています。
教師や支援者たちの工夫、行政や民間の協働、そして子どもたち自身の頑張りによって、一人また一人と救われる子どもたちが出てきています。
この流れをさらに大きく育てていくためには、私たち一人ひとりの理解と協力が不可欠です。見えにくかった子どもたちの存在に目を向け、彼らの声に耳を傾け、ともに学びともに成長できる社会を築いていきましょう。
外国ルーツの子どもたちが安心して学べるようになることは、多文化共生の土壌を育て、日本全体の活力にもつながります。
教育から始まる小さな変化が、やがて社会全体の意識を変え、誰もが生きやすい共生の未来へとつながっていくことを信じて――。今日からできることを、私たちも共に始めてみませんか。