日本に、およそ200万人。
これは、国内で車椅子を日常的に利用している人々の数です。この数字は、日本の総人口の約1.6%に相当し、決して少なくない人々が車椅子と共に生活している現実を示しています。
しかし、私たちは日々の暮らしの中で、彼らの存在をどれだけ意識し、その生活に思いを馳せることができているでしょうか。彼らが自由に街を歩き、好きな場所へ行き、私たちと何ら変わらない社会生活を営むことができていると、胸を張って言える社会が実現できているでしょうか。
「行きたい店より、入れる店を選ぶ」。
これは、多くの車椅子利用者が、外出のたびに突きつけられる厳しい現実です。たった数センチの段差、人が一人通るのがやっとの狭い通路、エレベーターのない駅の長い階段。私たちの多くが気にも留めない、あるいは当たり前の風景として受け入れている都市の構造が、彼らにとっては社会参加そのものを阻む巨大な「壁」として立ちはだかります。
しかし、その壁はコンクリートや鉄骨でできた物理的なものだけではありません。
私たちの心の中に潜む無意識の偏見や無理解。複雑怪奇で、当事者でなければ到底理解できない社会制度。情報を得ること自体の困難さ。
そして、自立した生活を送る上で重くのしかかる経済的な負担。これら目には見えない幾重もの「壁」が、彼らの自由を奪い、社会からの孤立を静かに、しかし着実に深めているのです。
目次
第1章:物理的な壁 – 都市に潜む段差と距離
日本の街は、一見するとバリアフリー化が着実に進んでいるように見えます。
2006年に「バリアフリー法(高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律)」が施行されて以来、特に駅や空港、大規模な商業施設などではエレベーターやスロープの設置が大きく進みました。
国土交通省が公表した最新の報告書によれば、2020年度末時点で、1日あたりの平均利用者数が3,000人以上の鉄軌道駅の約96%で段差が解消され、主要な旅客施設においては約94%でバリアフリートイレが整備されるなど、ハード面での整備は目覚ましい成果を上げています。
しかし、これらの輝かしい数字の裏側で、多くの車椅子利用者が「移動の困難」を依然として感じている現実を見過ごしてはなりません。
例えば、エレベーターが設置されていても、その多くはホームの最も端に追いやられています。
健常者であれば1分で完了する乗り換えに、エレベーターを探して長い距離を移動し、時には複数回乗り継ぐことで10分以上を要するケースは決して珍しくありません。この「時間のロス」は、日々の通勤や通学において、無視できない大きな負担となります。
公共交通機関の問題は、鉄道だけにとどまりません。
路線バスでは、運転手が乗降を手伝うためのスロープの操作に不慣れであったり、車内の車椅子スペースが他の乗客の荷物で塞がれていたりすることで、乗車を諦めざるを得ない状況が頻発しています。
タクシーにおいても、近年では車椅子ごと乗車できるユニバーサルデザインタクシー(UDタクシー)が増えてきましたが、運転手が適切な乗降介助の研修を受けていないために乗車を拒否される「乗車拒否問題」が深刻化しており、国会でも取り上げられるほどの社会問題となっています。
「部分的バリアフリー」という名の新たな壁
さらに車椅子利用者を悩ませているのが、「部分的バリアフリー」が引き起こす問題です。これは、施設や経路の一部だけがバリアフリー化されているために、かえって利用者を混乱させ、徒労に終わらせてしまう状況を指します。
具体的には、以下のようなケースが挙げられます。
駅はバリアフリーでも、目的地がバリアだらけ:
駅の改札を出て目的地に向かうと、歩道が狭かったり、電柱や看板が邪魔で通れなかったり、目的の店舗の入口に数段の階段があったりする。
スロープはあるが使えない:
スロープが設置されていても、その勾配が建築基準法の基準(1/12)を大幅に超える急勾配で、自力では到底登れない。あるいは、スロープの入口に自転車や看板が置かれ、塞がれている。
多機能トイレが機能しない:
多機能トイレが設置されているにもかかわらず、清掃用具や段ボールの物置代わりに使われていて、中に入ることすらできない。
こうした「中途半端なバリアフリー」は、利用者を目的地の寸前で阻み、「ここまで来たのに」という強い絶望感と無力感を与えます。
ある車椅子利用者は、自身のブログでこう綴っています。「事前にウェブサイトで調べて『バリアフリー対応』と書かれていたレストランに行ったんです。でも、入口にはクリアできない段差が。店員さんに手伝いを頼んでも『人手が足りない』と断られ、結局その日は食事を諦めました。その時感じたのは、社会から『あなたのような人は来なくていい』と拒絶されたような、深い悲しみでした」。
物理的な壁は、単に移動を困難にするだけではありません。
それは、人の心を深く傷つけ、社会参加への意欲を根こそぎ奪い、行動範囲を狭めてしまう強力な心理的影響をもたらすのです。
現行のバリアフリー法では、比較的小規模な店舗(床面積2,000平方メートル未満)などではバリアフリー化は「合理的配慮」の範囲内、つまり努力義務にとどまっています。
そのため、私たちが普段何気なく利用しているカフェやレストラン、書店、美容院といった生活に密着した施設の多くが、車椅子利用者にとっては「存在しない」のと同じになっているのかもしれないのです。
この章では、こうした都市の至る所に潜む物理的な壁の実態を、さらなるデータと当事者の声をもとに、より深く、多角的に掘り下げていきます。

第2章:心理的な壁 – 無理解と偏見が生む心の距離
物理的な障壁以上に、車椅子利用者の社会参加を根深く、そして静かに阻んでいるのが、私たちの社会に蔓延する「心理的な壁」です。
それは、時にあからさまな差別や偏見として、またある時には無関心や好奇の視線として、そして最も厄介なことに、時に「善意」という仮面を被って現れます。この見えない壁は、車椅子利用者の心を深く傷つけ、社会との間に修復困難な溝を生み出してしまうのです。
2016年に施行され、2024年4月からは民間事業者にも義務化された「障害者差別解消法」は、障害を理由とする不当な差別的取り扱いを禁じ、事業者に対して「合理的配慮の提供」を求めています。
合理的配慮とは、例えば車椅子利用者が店の入口の段差で困っている際に、店員が携帯スロープを渡したり、入店を手伝ったりといった、個々の状況に応じて発生する障壁を取り除くための調整のことです。この法律の施行は、社会の意識を前進させる大きな一歩となりました。
しかし、法律が施行されてもなお、現実は厳しいものがあります。内閣府の調査によると、障害のある人の約44%が、過去1年間に飲食店や小売店、交通機関などで不当な扱いを受けたと感じた経験があると回答しています。
具体的には、「車椅子であることを理由に入店を断られた」「バスの運転手に乗車を嫌な顔をされた」「タクシーの運転手から『車椅子は乗せられない』と乗車拒否された」といった声が後を絶ちません。これらの経験は、単なる不便さを超え、個人の尊厳を深く傷つけるものです。
「善意」という名の壁
さらに問題を複雑にしているのが、差別や悪意からではなく、むしろ「善意」からくる行動が、かえって車椅子利用者を追い詰めてしまうケースです。
代表的な例が、街で困っている様子の車椅子利用者を見かけた際に、声をかける前にいきなり後ろから車椅子を押し始めてしまう行為です。手伝おうとするその気持ちは尊いものですが、本人の意思を確認しない一方的な手助けは、当事者から「自分のペースや進みたい方向を無視された」「自分の存在を軽んじられた」と受け取られかねません。
多くの車椅子ユーザーは、口を揃えてこう言います。「手伝いが必要な時は、必ず自分からお願いします。だから、まずは『何かお手伝いできることはありますか?』と一言だけ聞いてほしい。それだけで、私たちは社会とつながっていると感じられるんです」。
彼らにとって車椅子は、単なる移動の道具ではなく、自らの身体の一部です。私たちが自分の体を他人に無断で触れられることに強い不快感を覚えるのと同じように、彼らにとって車椅子は、個人の尊厳が宿るパーソナルな領域なのです。
こうしたすれ違いの根底には、私たちの多くが知らず知らずのうちに抱いている「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」が存在します。
「障害者は助けられるべき弱い存在だ」「かわいそうな人たちだ」といった、メディアなどを通じて刷り込まれたステレオタイプが、私たちの言動に無意識のうちに影響を与え、相手を一人の対等な個人として見ることを妨げているのです。
心理的な壁は、物理的な壁のように目に見えず、法律で取り締まることも困難です。だからこそ、乗り越えるのが最も難しい課題と言えるでしょう。この壁を取り払うためには、法整備や罰則の強化だけでは不十分です。私たち一人ひとりが、自身の心の中に潜む偏見の存在に気づき、相手の立場や尊厳を尊重し、対等な一人の人間としてコミュニケーションをとろうと真摯に努める姿勢が、何よりも求められています。

第3章:情報・制度的な壁 – 見えない情報格差
「明日のランチ、新しくできたあのカフェに行ってみない?」。友人からのそんな気軽な誘いに、即座に「いいね!」と答えられない人々がいます。
彼らはまず、スマートフォンの検索窓に店名と「車椅子」「バリアフリー」といったキーワードを打ち込み、公式サイトやレビューサイトをくまなくチェックすることから始めなければなりません。
これは、多くの車椅子利用者が外出のたびに強いられる、目に見えない情報探索の労苦であり、彼らの社会参加を阻む大きな「情報・制度的な壁」です。
健常者であれば数分で済む外出の計画に、彼らは何倍、時には何十倍もの時間と精神的なエネルギーを費やしています。
施設の公式サイトを隅々まで確認し、書かれていなければ電話で問い合わせ、Googleストリートビューで周辺の道路状況や入口の様子を執拗なまでにチェックする。それでもなお、現地に到着したら予期せぬ数センチの段差や、ウェブサイトには載っていなかった障害物に行く手を阻まれることは日常茶飯事なのです。
断片的で信頼性の低いバリアフリー情報
現在の日本において、バリアフリー情報は様々なウェブサイト、ブログ、SNS、アプリに散在しており、信頼できる情報を一元的に得られるプラットフォームが存在しません。
また、情報の「質」も玉石混交です。「バリアフリー対応」と一言で書かれていても、それがどの程度のレベルを指すのか(入口に簡易的なスロープがあるだけなのか、通路幅も十分に確保されているのか、誰でも使える多機能トイレが設置されているのか等)が具体的に記述されていることは稀で、結局は「行ってみなければ分からない」という賭けにならざるを得ないのが実情です。
こうした「情報の壁」を当事者の手で打ち破ろうと生まれたのが、NPO法人ウィーログが運営するバリアフリーマップアプリ「WheeLog!」です。
この画期的なアプリでは、ユーザー自身が実際に行った場所のバリアフリー情報を、写真やコメント付きで地図上に投稿し、共有することができます。
「あなたの『行けた!』が、誰かの『行きたい!』になる」というコンセプトの通り、当事者目線のリアルで詳細な情報が集積され、多くの車椅子ユーザーの行動範囲を広げる一助となっています。
しかし、こうした素晴らしい市民レベルの取り組みも、まだその情報の網羅性や更新頻度には限界があります。
情報の不足は、単に不便であるだけでなく、人々の行動の選択肢そのものを奪い、社会参加への意欲を削ぎます。「どうせそこも行けないだろう」「調べるのが面倒だ」という諦めの感情が、知らず知らずのうちに彼らを家の中に閉じこもらせる一因となっているのです。
複雑怪奇な「支援制度」という壁
さらに、利用者の自立を助けるはずの社会制度そのものが、その複雑さゆえに高い壁となって立ちはだかるという皮肉な現実があります。
身体障害者手帳の取得から始まり、交通機関の割引制度、補装具費の支給申請、特別障害者手当の受給手続きなど、車椅子利用者が利用できる社会制度は数多く存在します。しかし、それぞれの制度は管轄する省庁や自治体が異なり、申請条件や手続きの方法もバラバラで、全体像を把握することは極めて困難です。
どの制度が自分に適用されるのか、どこに、いつまでに、どのような書類を揃えて申請すればいいのか。これらの情報を自力で集め、正確に理解するためには、膨大な時間と労力、そして高度な情報リテラシーが要求されます。
結果として、本当に支援を必要としている人々に、必要な情報やサービスが届かないという「制度の谷間」が生まれてしまっています。行政サービスのデジタル化が叫ばれる中で、誰もが簡単に必要な情報にアクセスし、理解し、申請できるような、真の「ユーザー中心」の制度設計が、今まさに問われています。

第4章:経済的な壁 – 自立を阻む高額な「障害コスト」
社会参加への意欲と情報を手にしたとしても、最後に乗り越えなければならない最も現実的で、そしてしばしば最も高い壁が「経済的な壁」です。
車椅子とともに生きる生活には、障害のない人々には想像しにくい、多様かつ継続的な経済的負担、いわゆる「障害コスト」が伴います。
その中核をなすのが、車椅子本体の費用です。
既製品の自走式車椅子であっても数万円から十数万円。利用者の身体のサイズや障害の特性に合わせて作るオーダーメイドの車椅子や、坂道や長距離の移動を可能にする高機能な電動車椅子となると、その価格は50万円から100万円を超えることも決して珍しくありません。これは、多くの家庭にとって、軽自動車を一台購入するのに匹敵する、あるいはそれ以上の大きな出費です。
公的支援の限界と「制度の谷間」
もちろん、これらの費用を軽減するための公的な支援制度は存在します。
身体障害者手帳を持つ人は、「補装具費支給制度」を利用することで、購入費用の原則9割(所得に応じて変動)の補助を受けることができます。
また、65歳以上で介護保険の認定を受けている場合は、月々数百円から数千円という比較的安価な自己負担で車椅子をレンタルすることも可能です。
しかし、これらの制度は決して万能ではありません。補装具費支給制度には所得に応じた支給上限額が定められており、高価な電動車椅子などを購入する際には、かなりの自己負担が発生します。
また、介護保険によるレンタルは、原則として要介護2以上でなければ利用できず、障害の程度が比較的軽いと判断された人々は制度の恩恵を受けられない「制度の谷間」に置かれがちです。
さらに重要な点として、車椅子は一度購入すれば終わり、というものではありません。数年ごとの買い替えはもちろん、バッテリーの交換(電動の場合、数年で数万円)、パンク修理、フレームの調整など、継続的なメンテナンス費用が家計に重くのしかかります。
日常生活に潜む、見えないコスト
経済的な負担は、車椅子本体の費用だけにとどまりません。日常生活のあらゆる場面で、障害コストが発生します。
住宅改修費:
自宅の玄関にスロープを設置し、浴室やトイレに手すりをつけ、室内の段差をなくす。これらの改修には、数十万から数百万円の費用がかかることがあります。
交通費:
公共交通機関での移動が困難な場合、車椅子ごと乗車できる福祉タクシーを利用せざるを得ませんが、その料金は一般のタクシーよりも割高です。自家用車を持つ場合も、福祉車両への改造費や購入費は大きな負担となります。
消耗品費:
床ずれを防ぐためのクッションや、排泄ケア用品など、日常的に必要となる消耗品の費用も無視できません。
こうした経済的な負担は、車椅子利用者の就労機会の制限と密接に結びつき、深刻な悪循環を生み出しています。
物理的・心理的な壁によって希望する職に就けず、非正規雇用や低賃金で働かざるを得ない状況が、経済的な困難にさらに拍車をかけるのです。
経済的な理由で、身体に合わない安価な車椅子を使い続けたり、必要なメンテナンスを怠ったりした結果、床ずれ(褥瘡)を発症して身体状況を悪化させ、かえって高額な医療費が必要になるという悲劇も後を絶ちません。
経済的な壁は、個人の努力や節約だけで乗り越えるにはあまりにも高く、厚いのが現実です。
移動の自由、そして自立した尊厳ある生活の基盤を確保するためには、現行の公的支援制度を拡充し、制度の谷間を埋めるとともに、障害に起因する追加的費用(障害コスト)を社会全体で支える新たな仕組みづくりが、喫緊の課題となっています。

第5章:私たちにできること – 「見えない壁」を取り払うための具体的なアクション
これまで見てきた4つの「見えない壁」は、それぞれが独立して存在するのではなく、相互に複雑に絡み合い、車椅子利用者を社会から静かに、しかし確実に孤立させています。
この巨大で複合的な壁を、私たち一人ひとりの力で少しずつでも取り払っていくためには、具体的にどのような行動が求められるのでしょうか。
1. まずは「知る」こと、そして「想像する」こと
最も重要で、誰もが今すぐ始められる第一歩は、「知る」ことです。車椅子利用者がどのような場面で困難を感じ、どのような手助けを求めているのか。彼らの日常や思いについて、まずは関心を持つこと。
そして、もし自分がその立場だったら、と想像力を働かせてみることです。この記事で紹介したような当事者の声や、支援団体の発信する情報に触れることが、その入り口となるでしょう。
2. 「心のバリア」を取り払うコミュニケーション
街で困っている様子の車椅子利用者を見かけたら、勇気を出して「何かお手伝いできることはありますか?」と声をかけてみましょう。
大切なのは、手伝うかどうかをこちらが判断するのではなく、相手の意思を尊重することです。手伝いが不要な場合もあれば、ドアを少し開けておいてほしいだけの場合もあります。勝手な思い込みで行動するのではなく、対等な個人としてコミュニケーションをとる姿勢が、「心理的な壁」を溶かしていきます。
3. 「情報の壁」を壊す小さな貢献
あなたが見つけた街のバリアフリー情報は、他の誰かにとって、外出への不安を希望に変える貴重な宝物になります。
前述のバリアフリーマップアプリ「WheeLog!」などを活用し、あなたが行けたお店、利用できたトイレ、スムーズに通れた道などの情報を、写真付きで投稿してみましょう。たった一つの情報が、誰かの行動範囲を劇的に広げ、新しい世界への扉を開くきっかけになるかもしれません。
4. 支援団体を支え、社会変革に参加する
個人の力には限界があります。より大きな社会変革を後押しするためには、専門性を持って活動しているNPOや市民団体を支援することが、極めて有効な手段となります。
寄付による支援:
「NPO法人ウィーログ」への寄付は、バリアフリーマップアプリの開発・維持費として活用され、情報格差という根本的な課題の解決に直接貢献します。
公式サイトによれば、月々1,000円の継続的な寄付で、年間5人の車椅子ユーザーの外出を支えることができるとされています。
また、「海外に子ども用車椅子を送る会」や「さくら車いすプロジェクト」のように、使われなくなった車椅子を整備し、国内外の必要としている人々に届ける活動もあります。あなたの寄付が、誰かの移動の自由、ひいては人生そのものを支える力になります。
ボランティアとしての参加:
時間やスキルを提供することも、価値ある支援です。車椅子の清掃・整備、イベントの手伝い、事務作業など、多くの団体が様々な形でボランティアを募集しています。自分にできる範囲で関わることが、社会との新たなつながりを生み出します。
おわりに
車椅子利用者が直面する「見えない壁」は、決して彼らだけの特殊な問題ではありません。
それは、私たちの社会が、どれだけ多様な人々を受け入れ、その尊厳を守ることができているかを映し出す、普遍的な指標です。街や建物に存在する物理的な段差以上に、私たちの心の中に、そして社会の仕組みの中に、より根深い「段差」があるのかもしれません。
全ての人が、障害の有無やその他の属性にかかわらず、一人の人間として尊重され、自分らしく、希望を持って生きていける社会。その実現は、政府や専門家任せの遠い夢ではありません。
私たち一人ひとりが、自らの心の中にある「見えない壁」の存在に気づき、それを乗り越えようと意識し、具体的な行動を積み重ねていくことの先に、その未来は拓かれます。この記事が、そのための小さくとも確かな第一歩を踏み出すきっかけとなることを、心から願っています。