夜になると、家が急に静かになる。
布団の中で、今日あったことを話そうとして、“話す相手”がいないことに気づく。
そんな「静けさ」を抱えて生きる子どもたちが、日本にも世界にも確かにいます。
親を病気で失った子、災害で家族を失った子、自死で突然大切な手を離された子。
あるいは、親が重い障害を抱えていて、家の中の役割が大きく変わってしまった子。
彼らの物語は、一枚の統計表には出てきません。
けれど、そのひとりひとりに、続きがあり、言葉にならない叫びがあります。
今回のこの記事では、
「遺児・災害遺児・障害のある親を持つ子ども」
という大きな括りの内側にある、目に見えない現実と、私たちが寄付で支えられる可能性について、ストーリーとともにお届けします。
目次
1. 突然、日常が途切れるということ
■ 病気で親を失う——ゆっくり訪れる喪失
病気で親を亡くす場合、時間をかけて覚悟をしていく家庭もあります。
それでも、子どもは最後の瞬間を予測することはありません。
闘病中の親を気遣い、子どもが家事を担い、弟妹の世話をし、
「大丈夫」と笑いながら胸の奥に不安を押し込める。
親の容体が悪化した時期には、
宿題よりも洗濯や買い出しが優先されることもあります。
喪失は突然ではなくても、“時間の奪われ方”は突然です。
今日まであった「親に見てもらう未来」が、ひと晩で消えてしまう。
その無音の変化に、子どもは戸惑い続けます。
■ 災害で家族を失う——世界が一瞬で反転する
災害は前触れなくやってきます。
津波、地震、豪雨、土砂崩れ、火災。
数分前まで当たり前にいた家族を、一瞬で奪ってしまいます。
避難所の片隅で、体育館の冷たい床に横になりながら、
「どこに連絡すればいいのか」「誰に頼ればいいのか」もわからない。
災害遺児の支援現場では、
子どもたちが最初に求めるのは“情報”でも“お金”でもなく、
「一緒にいてくれる人」です。
家を失った、家族を失った、学校を失った。
“当たり前のもの”が一気に消える体験は、子どもの心を根底から揺るがします。
■ 自死で親を失う——言葉にできない沈黙
自死で親を亡くした子どもたちは、
悲しみと同時に、説明できない「罪悪感」に襲われることがあります。
「自分がもっと優しくしていたら」
「気づけたはずだった」
「周りに知られたくない」
誰の責任でもないのに、
“誰にも言えない”重荷が、胸の奥に沈み込むのです。
本人が話したくても、周囲がどう受け止めれば良いかわからない。
学校でも、友達にも、家族にも言えないまま、
沈黙が続くことがあります。
この“語れなさ”こそが、自死遺児支援の大きな壁です。
■ 親に障害がある——家族を支える役割を背負う子ども
親に障害がある家庭では、
子どもが「守る側」になってしまう場面が少なくありません。
・車椅子の親の代わりに買い物へ行く
・聴覚障害の親のために手話や通訳を担う
・精神疾患で親が寝込んでいる間、弟妹の世話をする
こうした状況が長く続くと、
子どもは大人が担うべき役割を引き受け、
自分の時間・学校生活・友人関係よりも家庭を優先せざるを得なくなります。
「子どもでいる時間」が少しずつ削られていく——
これが障害家庭の子どもが抱える“静かな苦しさ”です。
2. 子どもが抱えるもの——名もなき重荷
遺児・災害遺児・障害家庭の子どもは、
それぞれ異なる状況に置かれているように見えますが、
実は彼らの共通点は「言語化されにくい負担」を抱えることです。
■ 「役割の逆転」という見えない負担
本来なら親が担う家事・ケア・手続きなどを、
子どもが引き受けるケースがあります。
親を想い、家族を守りたいという気持ちは本物です。
でも、その優しさが、子どもを限界まで押し広げてしまうこともある。
「自分が頑張らないと家がまわらない」
そんな緊張感が、毎日続きます。
■ 学校生活の遅れ・孤立
家庭の事情で、
遅刻・早退・欠席が増えたり、
宿題ができなくなったり、
教室での居場所が薄れていくことがあります。
友達には「家のこと」を説明しにくいため、
孤独がさらに深まります。
■ 「話したいけど話せない」沈黙
多くの子どもは、
「周りに迷惑をかけたくない」
「家庭の問題は自分で抱えないといけない」
と思い込み、“望まない沈黙”を選びます。
この自己防衛が、支援につながる扉を閉ざしてしまうことも。
■ 行政や制度では拾えない感情のケア
生活費・教育費などの制度的支援があっても、
心のケア、語る場所、安心できる大人との関係性は、
制度だけでは満たせません。
支援団体が重要なのは、
「制度が届かない隙間」に寄り添える存在だからです。
3. 支援が届きにくい三つの壁
支援団体の取材をすると、
子どもたちに援助が届きにくい理由は、
多くの場合、次の三つに凝縮されます。
■ ① 「突然の変化」に制度が追いつかない
親の死、自死、災害。
家庭が一気に崩れるとき、
行政の支援は申請や審査、書類手続きが必要です。
しかし、
“明日食べるもの”“学校へ行く準備”など、
子どもに必要なのは「今すぐ」の支えです。
そのタイムラグを埋めるのが民間団体の役割です。
■ ② 子どもが“支える側”となる家庭構造
親が障害を抱えた家庭や片親家庭では、
子どもが家族を支える役割を負います。
この構造が、支援の手を“入りにくく”してしまう。
大人の責任に、子どもの献身が覆いかぶさることで、
外から問題が見えにくくなるのです。
■ ③ 心理的に助けを求めづらい
「人に知られたくない」
「かわいそうと思われたくない」
支援を遠ざける心理は、
子どもだけでなく保護者にもあります。
結果、支援が必要な家庭ほど、
外からは“問題が見えない”状態になりやすいのです。
4. では、どんな支援が「次」をつくるのか?
ここからは、支援現場が意識している
“未来につながる支援”のポイントを紹介します。
■ 安心できる居場所——「ひとりで抱えなくていい」場所
あしなが育英会のレインボーハウスのように、
安心して話せる、涙を流せる、笑える場所があることは、
子どもにとって“人生をやり直す入り口”です。
感情を言語化できるようになるまで寄り添う——
これは制度では作れない「場」の力です。
■ 家庭全体を見る支援——ケアを子どもに背負わせない
家事・介護・育児。
これらを子どもが担いすぎないように、
家庭支援・生活再建・保護者支援をセットで行う団体も増えています。
「家庭全体を支える」視点は、
結果として子どもの時間を取り戻します。
■ 学びを途切れさせない支援
遺児・災害遺児支援の要は、
“学校を続けられること”。
進学、学用品、交通費。
途切れず登校できる支えが、
将来の選択肢を確実に広げます。
■ 子どもを“毎日の時間”から支えること
支援は勉強や進学だけではありません。
お弁当があること、家が暖かいこと、
話し相手がいること、安心して眠れること。
この「日々の時間」を支えることこそが、
寄付の持つ最も大きな意味です。
5. 日本から支えられる寄付先団体
ここからは、FIRST DONATE編集部が信頼性を重視して厳選した、日本の寄付先を紹介します。
■ あしなが育英会

奨学金支援を中心に、
心理的ケア、レインボーハウスでの居場所づくり、
自死遺児支援にも力を入れています。
“教育・心・生活”を包括的に支える日本有数の団体です。
■ 赤い羽根共同募金(子ども・家庭福祉の支援枠)

災害遺児や家庭困難児を支援する仕組みがあり、
全国で地域密着型のサポートを展開。
自治体や地域NPOと連携して、
「支援が最も届きにくい家庭」を丁寧に掘り起こします。
■ セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン

災害時の緊急支援、
自死遺児・災害遺児を含む家庭の子どもへの学習・心理支援を実施。
特に「感情を安心して表せる場」を作るプログラムは、
支援現場から高く評価されています。
■ AAR Japan(難民を助ける会)

障害を持つ親の家庭支援や、
災害で親を失った子どもたちの支援も行なってきた団体。
災害支援と障害支援の両方を持つ希少な団体として、
特に「家庭まるごと」の支援が強みです。
6. FIRST DONATEからの提案:寄付の前に、三つの質問を
寄付を検討される方には、次の三つの視点をぜひ持ってほしいと思います。
✔ 1. 「家庭全体を支えている団体か?」
子どもを支えるには、子どもを取り巻く家庭の土台が欠かせません。
✔ 2. 「心理的ケアや居場所づくりがあるか?」
遺児・災害遺児支援の肝は、“語れる場”の存在です。
✔ 3. 「継続支援の仕組みがあるか?」
奨学金や継続的な支援は、子どもの将来に直結します。
まとめ ――「ひとりにしない」という約束を、社会でつくる
親を失うこと。親が障害を抱え、家の形が変わってしまうこと。
その瞬間、子どもは“自分では選べない変化”と向き合うことになります。
けれど、彼らの未来は、そこで止まるわけではありません。
安心して話せる場所があれば、
学校に行き続けられれば、
家事やケアをひとりで背負わなくてよければ。
子どもたちはまた、少しずつ「未来のかたち」を取り戻していきます。
支援とは、ドラマチックな変化を起こすものではなく、
毎日の生活の中で“失われた時間”を少しずつ返していくこと。
その連続が、子どもに新しい選択肢を開いていきます。
寄付は、その“時間を返す”行為のひとつです。
一度の支援で救えるものは小さいかもしれません。
それでも、子どもにとっては、
「ひとりではない」と気づける大事な一歩になります。
そして私たちは、
その一歩をともにつくるために存在しています。
ここまで読んでくださったあなたの関心そのものが、
すでに誰かの支えになっています。
そしてもし、あと少しだけ手を伸ばしてくださるなら、
その寄付は、確かにひとりの子どもの明日を変えていきます。
