
寄稿:石川航(いしかわ わたる)
立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科博士後期課程・日本学術振興会特別研究員。東京外国語大学でビルマ語と国際協力論を学び、現地での交流を重ねる。
現在は日本におけるミャンマー民主化運動をテーマにフィールドワークを行い、在日ミャンマー人と共に支援活動に携わっている。
「日本ミャンマーMIRAI創造会」共同代表、一般社団法人「ミャンマーの平和を創る会(チィチィキンキン)」理事。2024年度国際ボランティア学会 隅谷三喜男賞受賞。
2026年8月3日、ミャンマー軍事政権に拘束されている民主化指導者のアウンサンスーチー氏(81)が、赤十字国際委員会(ICRC)の現地代表者と面会したというニュースが報じられました。2021年の軍事クーデター以降、長らく姿を見ることができなかっただけに、「元気そうで安心した」という声も聞かれました。
もちろん、この面会自体は歓迎すべき出来事です。私もミャンマーに関連するイベントなどで、「ミャンマーはもう落ち着いたのでしょうか」と聞かれることがありました。しかし、一つの報道だけで、「ミャンマーは落ち着き始めた」「国軍が軟化してきた」と受け止めることはできません。現実には今も空爆や武力衝突が続き、多くの人々が故郷を追われています。
こうしたミャンマーの情勢下で、私自身も2021年のクーデター以降、さまざまな団体や活動に関わりながら、国内避難民への支援やイベントの企画など、ミャンマーの人たちと一緒に活動を続けてきました。
その一つが、日本とミャンマーの若者がともにより良い未来を目指して設立した「日本ミャンマーMIRAI創造会」です。在日ミャンマー人とともに、ミャンマー支援のための募金活動や、日本政府への要請活動などに取り組んできました。
5年半にわたって活動を共にする中で、気づいたことがあります。それは、日本で暮らすミャンマーの人たちは、決して「支援されるだけ」の人たちではなく、私たちに様々なことを教えてくれる存在だということです。
大きく変わってきた在日ミャンマー人コミュニティ
クーデターが発生する前年の2020年末に約3万5千人だった在日ミャンマー人は、その後急速に増加し、2025年末には18万人を超えました。わずか5年で6倍近くになり、いまでは日本で8番目に大きな外国人コミュニティです。この急増の背景には、クーデター後の混乱があります。留学や就労を目的に来日した人が多いですが、その中には、祖国の先行きが見えないなかで日本にとどまることを選んだ人や、帰国したくてもできない人、新たに日本へ生活の場を求めた人も含まれているのです。
クーデター後、日本政府は帰国が困難となったミャンマー人に対して、「特定活動」の在留資格による緊急避難措置を講じました。この制度によって、多くの人に日本に滞在し続ける道が開かれました。ただし、これは更新を前提とした在留資格で、将来が保証されているわけではありません。難民認定も依然として狭き門であり、法的に不安定な立場で生活している人も少なくありません。
祖国に帰ることができない。一方で、日本での将来も見通せない。そんな状況で暮らしながら、彼らはミャンマーの民主化を願い、さまざまな形で祖国を支えています。
デモに出ない人も、ミャンマーを思っている
「民主化運動」と聞くと、街頭でのデモ活動を思い浮かべる人が多いかもしれません。もちろん、デモは重要な活動の一つです。しかし、私が見てきた在日ミャンマー人の活動は、もっと幅広いものでした。
休日に駅前で国内避難民への募金を呼びかける人。イベントを企画する人。SNSでミャンマーの情報を発信する人。宗教行事や文化活動を通して同胞を支える人。人前には立たず、イベントの裏方を担う人もいます。そして、匿名で寄付を続ける人もいます。
匿名なのには理由があります。ミャンマーに残した家族への影響を心配している人がいるからです。自分自身がいつか帰国する可能性を考え、顔や名前を出して軍事政権への反対を表明することを避ける人もいます。そのため、デモには出ないけれど寄付をする。SNSでは政治について書かないけれど、裏方として活動を手伝う。軍事政権が発行するパスポートを更新しないことで、自分なりの意思を示す人もいます。

表立って活動していないからといって、祖国への関心が薄いわけではありません。それぞれが、自分や家族に及ぶリスクを考えながら、「自分にできること」を選んでいます。こうした一見すると「政治」には見えにくい行動も、彼らにとっては民主化運動の一部です。
支援の矢印は、日本にも向いている
そして、彼らの支援は祖国だけに向けられているわけではありません。7月28日に熊本県を震源とする地震が発生すると、在日ミャンマー人のSNSには、「日本の皆さんが無事でありますように」といった励ましの言葉や、支援を呼びかける投稿が相次ぎました。NUG駐日代表事務所(2021年のクーデター後に民主派が樹立した対抗政府の日本における代表機関)は30万円を拠出し、在日ミャンマー人から寄せられた27万8千円と合わせて、熊本県への緊急支援を実施しました。広島県のミャンマー人コミュニティも、飲料水を必要とする人々への支援に協力しました。
さらに、普段はミャンマー国内の避難民を支援しているグループも、街頭に立って日本の被災地への募金を呼びかけました。彼らが話したのは、「日本の人たちに恩返しがしたい」ということでした。ミャンマー国内にも、支援を待っている人が大勢います。それでも、日本で困っている人がいるなら力になりたい。そう考えての活動でした。今後も在日ミャンマー人による被災地支援は続く予定です。

(Yaw Funding Japanより許可を得て掲載)
ところが、この募金活動をめぐって、一部のSNSでは「ミャンマー人が地震を利用して金儲けをしている」といった趣旨の誹謗中傷がありました。街頭に立った在日ミャンマー人団体は、長きにわたってミャンマー国内の避難民を支えており、誠実な対応と透明性のある送金によって多くの日本人支援者からも信頼を集めている団体です。その人たちが「今度は日本のために」と動いた背景を知り、理解してもらえたらと思います。
東日本大震災でも「恩返し」
こうした動きは、今回が初めてではありません。2011年の東日本大震災でも、多くの在日ミャンマー人が被災地に向かい、炊き出しや物資支援などに取り組みました。都内での仕事を失うことになっても被災地へ向かうことを決め、ボランティア活動に参加した人もいたと言います。
「自分たちも決して余裕があるわけではない。それでも、日本が困ったときには力になりたい。」その背景には、日本で生活するなかで助けてもらったことへの感謝や、「恩返しをしたい」という思いがありました。2024年の能登半島地震でも、そして今回の熊本の地震でも、その思いは受け継がれています。
こうした姿を見ていると、支援とは一方向のものではないのだと感じます。では、私たちにはミャンマーのために、何ができるでしょうか。
大きなことをしなくてもいい
私たちがミャンマーを支援する方法はいろいろあります。日本には、国内避難民への食料支援、医療支援、教育支援、難民支援など、様々な形でミャンマー支援に取り組んでいる団体があります。信頼できる団体を探して寄付をするのも、一つの方法です。
でも、大きな金額を寄付することだけが支援ではありません。街頭でミャンマーの人たちが募金活動をしていたら、少し立ち止まってみる。寄付できなくても、「頑張ってください」と声をかけてみる。学校や職場、近所にミャンマー出身の人がいたら、話をしてみる。ニュースを一つ読んでみる。それでも十分、最初の一歩になります。
クーデターから5年半が経ち、日本でミャンマーが大きく報じられる機会は少なくなりました。しかし、ニュースが減ったからといって、そこで暮らす人たちの問題がなくなったわけではありません。日本で暮らす人のなかにも、祖国に家族を残している人がいます。帰りたくても帰れない人がいます。いつ帰れるのかわからないまま生活している人もいます。
だからこそ、お金を届けることと同じくらい、「あなたたちのことを忘れていません」と伝えることにも意味があると思っています。彼らを孤独にしないこと。それも支援の一つです。
ミャンマーでもらったものを、今度は日本で
私自身、以前ミャンマーに短期留学したことがあります。慣れない土地で生活する私に、ミャンマーの人たちはとても親切にしてくれました。困っていれば声をかけてくれる。わからないことがあれば教えてくれる。食事に誘ってくれる。どれも特別なことではありませんが、外国で暮らす私にとって、その一つひとつがとても心強いものでした。
いま、日本には18万人を超えるミャンマーの人たちが暮らしています。同じ電車に乗り、同じ学校で学び、同じ職場で働いています。ミャンマーという国は遠くても、そこで生まれ育った人たちは、すでに私たちのすぐそばで暮らしています。
だからこそ、支援をあまり難しく考えなくてもよいのだと思います。困っているときに声をかける。話を聞く。忘れない。そして、できるときには手を差し伸べる。私がミャンマーでしてもらったことも、そうした何気ないことでした。
今回、日本で災害が起きたとき、ミャンマーの人たちは「恩返しがしたい」と街頭に立ってくれました。誰かに支えてもらった人が、今度は別の誰かを支える。そうして支え合いが続いていくこと自体が、私たちが一緒に暮らす社会をつくっていくのではないでしょうか。
ミャンマーで私が受け取ったものを、今度は日本で誰かに手渡す。そんな「恩返し」が国境を越えて巡っていく社会であってほしいと思います。
